フィレンツエ・ルネサンスの宝庫

フィレンツエのウフィツイとピッティ美術館で観た絵画をご紹介します。
ウフィツィ美術館展示作品
ウフィツィから観るヴェキオ橋
数百年の間、人々に感動を与え続けてきた作品には揺さぶられます。
ロレンツォ・モナコ「聖母戴冠」1414 ウフィツィ
ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ「東方三博士の礼拝」1423 ウフィツィ
『マタイによる福音書』2:1-13に博士たちについて記されているが、「占星術の学者たちが東の方から来た」と書かれ、人数は明記されない。彼らはヘロデ大王に「ユダヤ人の王としてお生まれになったかた」について尋ね、ベツレヘムへたどりつく。彼らはイエスを見て拝み、乳香、没薬、黄金を贈り物としてささげた(贈り物から「三人」とするのが定着)。ヘロデ大王は幼子を見つけたら、自分に知らせるようにと彼らに頼むが、彼らは夢のお告げを聞いてヘロデ大王のもとを避けて帰った。
フィリッポ・リッピ「カマルドリの礼拝」1463 ウフィツィ
パオロ・ウッチェッロ「サン・ロマーノの戦い」1435-38又は50-56 ウフィツィ 混んでました
ルッカ付近のサン・ロマーノで1432年6月1日にシエナ軍を破ったフィレンツェ軍の戦いの一場面を描写。大作で皆さん身動きしないので次へ、、、
ピエロ・デッラ・フランチェスカ「ウルビーノ公夫妻」 1472 ウフィツィ
半身、真横という、この時代におけるイタリア特有の肖像形式を取りながらも、背景には空気遠近法を用いるなど、ネーデルランド絵画の特徴を示している。
フィリッポ・リッピ「聖母子と2天使」1465 ウフィツィ
イエスを支える天使が向こう側に顔だけ見える。聖母マリアは駆け落ちし、結婚した修道女ルクレツィア・ブーティ、幼子イエスは息子フィリッピーノ・リッピをモデルに描いたとう説もある。
サンドロ・ボッテチェリ「マニフィカートの聖母」 ウフィツィ 1483-85
マニフィカトはマリアを讃える賛美歌を意味し、二人の羽のない天使が、聖母に天の女王を意味する冠をのせている。冠に無数の星が散りばめられ「明けの明星」を意味し、明けの明星(金星)は、マリア頌歌では天上のマリアを示す。天使たちはインク瓶を持ち、赤ん坊のイエスがマリアにマニフィカトの最後の言葉を書くよう促している。
聖母と赤ん坊のイエスが持つざくろがキリストの受難を意味している。
サンドロ・ボッテチェリ「パラスとケンタウロス」 ウフィツィ 1482-83
パラスの衣装の模様が個人的な紋章の意匠なので、ロレンツォ・デ・メディチ絵の依頼主とされる。
ケンタウロスに象徴される「抑制されない本能や理性のない激情」を、女神の「理」によって抑えていると主張する人もいる。パラス”は”ミネルバ”のギリシャ語読み、”ミネルバ”はローマ神話の最も重要な3人の神々の一人であり、 学問と戦いの他、医師と医療を司る知恵の女神です。注文主であるメディチ家の”メディチ”とは日本語では”薬”のことで”寓意”に満ちた絵です。
サンドロ・ボッテチェリ「ヴィーナスの誕生」 ウフィツィ 1485
ギリシア神話から、女神ヴィーナス(アプロディーテー)が、成熟した大人の女性として、海より誕生し出現した様
サンドロ・ボッテチェリ「サン・バルナバの祭壇画」 ウフィツィ 1487
王座の聖母を中心に聖人たちがとりまくモチーフ、聖母の頭上の「貝殻」が聖母を「新しいヴィーナス」とみなすシンボル。
サンドロ・ボッテチェリ「ザクロの聖母」 ウフィツィ 1487
受難の象徴≪柘榴≫を手にする幼子イエス、我が子が歩む茨の道を憂う聖母マリアの虚ろな表情
サンドロ・ボッテチェリ「受胎告知」 ウフィツィ 1489
サンドロ・ボッテチェリ 「聖母子(バラ園の聖母)」 1469-70
バラは、「奇しきバラの花」という聖母マリアの称号を意味する。
ボッテチェリ「三人の大天使とトビア」1470
トビトは王に暗殺された仲間のユダヤ人たちを墓に葬ったため、財産を全て没収されてしまった。
眠っているトビトの目にすずめが下りてきて、目が見えなくなってしまう、トビトの姪サラは悪魔に取りつかれ、彼女と結婚する男七人は次々と殺された。神はこの不幸な家族を救うため、大天使ラファエルを送った。
ラファエルはトビトの息子トビアを連れ立ちラグエルの元へと旅に出る。旅の途中、チグリス川で、巨大な魚に襲われるが、大天使ラファエルがトビアに、その魚を捕まえて、内臓の胆嚢、心臓、肝臓を取るよう命じた。
ラグエルのところに着いたとき、大天使ラファエルはトビアに悪魔につかれたサラを嫁にするよう言い、結婚式に巨大な魚から取った肝臓を焼いた。その匂いで悪魔はサラから出て行った。
彼らはトビトの待つ家に帰り、巨大魚の胆嚢で、父トビトの目を治した。
サンドロ・ボッテチェリ 「春(プリマベーラ)」 1469-70
中央に、位置を高くに愛の女神ヴィーナス(アプロディテ)がいる。
右端に西風のゼフュロスがいて頬をふくらませ、青い顔をして、西風を吹かせ、春を運んでいる。ゼフュロスが抱きつこうとしているのはニンフ(妖精)のクロリスで、ゼフュロスは恋してしまい結婚する。
クロリスの口元から、花があふれているが、クロリスにゼフュロスの手が触れることで、フローラという花の女神に変身する。クロリスの左隣には、変身した女神フローラが、今にも足を踏み出すところ。
左の三人の女性は「三美神」でM左の女神は「愛欲」、中央は「純潔」、右が「愛」の女神である。左の「愛欲」と中央の「純潔」は、互いに見つめあい、対立し。右の「愛」が二人の仲を取り持ち、「愛欲」と「純潔」の反する性質を、「愛」でまとめている。
目隠しをしたキューピッド(エロス)が狙いを定めるのは「純潔」。目隠しは愛の不確かさや、負の部分を暗示している。
左端には神の使いマーキュリー(ヘルメス)がいて、人間と神の間に道を作り人間界にも春の訪れを告げる。理性の神でもあるヘルメスは、頭上の霧を杖で払っているが、霊魂を曇らせる情念の闇を取り払うとも考えられる。
サンドロ・ボッテチェリ 「ホロフィネスの遺体の発見」「ユディットのベツリアへの帰還」1470-72
絵の意味 遺体が発見された時、既にユディトは逃げ延びていました。
ボッテチェリ「東方三博士の礼拝」1475
アントニオ・デル・ポライウォーロ 「婦人の肖像」 1475
ボッテチェリ「サン・マルコの祭壇画(聖母の戴冠)」1488-90
後年は宗教的な影響もあり、作風が一変し人気も急落、画業を止めるに至り孤独の内に亡くなる。
ドメニコ・ギルランダイオ「東方三博士の礼拝」1487
ピエトロ・ペルジーノ「ピエタ」1483-93?
「ペルジーノ」は「ペルージャ人」の意、フィレンツェのヴェロッキオの工房で油彩を習得。ボッティチェリ、ギルランダイオらとともに、バチカン、システィーナ礼拝堂の壁画装飾を担当した。ペルジーノは、この壁画制作にあたり棟梁的な役目を果たしたとみなされており、若きラファエロの師でもあった。
ゲラルド・ディ・ジョヴァンニ「玉座の聖母子と諸聖人」1470-75
聖母子と聖フランチェスコ、枢機卿、聖ジョヴァンニ・バッティスタ、聖女マリア・マッダレーナ(ゲラルド・ディ・ジョヴァンニ)
ピエロ・ディ・コジモ 「キリスト受肉と聖人たち」1500年代
受肉とは神が人の形をとって現れること。キリスト教では、神の子キリストがイエスという人間性をとって、この地上に生まれたこと。
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ピエロ・ディ・コジモ 「アンドロメダを救うペルセウス」1510-15 絵巻物
1.背景:エチオピア王ケフェウスの妻カシオペアは娘アンドロメダは海の精ネレイスの娘達より美しいとうぬぼれた。
2.中央その1:侮辱された海の精たちの復讐のため、海神ポセイドンは洪水を起こし怪物を送り込んだ。
鼻から、水鉄砲を発射し大暴れ、、、
3.左上:紙の怒りを鎮めるには、娘アンドロメダを怪物に捧げよとの神託が下され、母娘は泣き崩れる。
4.左中:アンドロメダは木に縛り付けられる。
5.左下:許婚は赤い羽根を付けて、助けることを考え、両親は悲嘆にくれる。
6.右上:ちょうどその時、ゼウスとダナエの息子であるペルセウスが、メデューサの首を獲った後に天馬ペガソスに乗り通りかかった。この光景を前にジャンプ一番助けに跳んだ。
7.中央その2:ペルセウスはまさに剣による一撃を与えようとしている。
8.右下:アンドロメダは両親の元に。楽師も出て皆で賑やかに祝います、良かったねー! そだねー!
フィリッピーノ・リッピ「玉座の聖母子と諸聖人(洗礼者聖ジョヴァンニ、聖ヴィットーレ、聖ベルナルド、聖ザノービ)」 1485‐86
ロレンツォ・ディ・クレディ 「受胎告知」1480-1485
ルーカ・シニョレッリ「聖母と2聖人のいる3位一体」1500-10
・神の実体は一つ
・神の位格は三つ、父なる神、子なる神(イエス・キリスト)、聖霊
フランチェスコ・ディ・クリストファーノ「聖母子と幼い洗礼者ヨハネ」
聖母子と少年ヨハネはルネサンス以降、西方教会で描かれるようになった主題。「神の子羊」と組み合わされることも多い。
ヨハネとともに描かれることの多い象徴(アトリビュート)には「らくだの毛の皮衣」(ヨハネの衣装として)、「悔い改め」を象徴する「斧を添えた切り株」、「見よ、神の子羊」(Ecce, Agnus Dei)の文字、多く十字架に結んだリボンの上に描かれる「杖状の細長い十字架」(しばしば葦)がある。
ミケランジェロ・ディ・ロドヴィーコ・ブオナローティ・シモーニ「聖家族」1507
幼少年時代のイエス・キリスト、養父ヨセフ、聖母マリア
ルーカス・クラナハ「ルター夫妻の肖像」 1529
1517年10月、ドイツの神学者・マルティン・ルターは煉獄の霊魂の罪が贖われる免罪符を販売するローマ教皇を批判するラテン語の『95ヶ条の論題』を発表。クラーナハは独自に視覚化した絵画や新約聖書の挿し絵の木版画で、多くの人々にルターの思想を伝え宗教改革活動で大きな役割を果たし、二人は極めて親しい間柄になります。
妻のカタリナ・フォン・ボラも描かれてますが、カトリック教会では一部の例外を除き神父の妻帯は認められず、独身制を否定したルターはカトリック教会から非難されながらも彼女と結婚します。
ルーカス・クラナハ「イヴ」(アダムとイヴのアダム抜き)
ジョヴァンニ・ディ・ロレンツォ・ラルチャーニ、またはロッソ・フィオレンティーノ「若い女の肖像」 1510
ちょっと下手な感じがしますが、、、
ロッソ・フィオレンティーノ「玉座の聖母子と4人の聖人(オニサンティ祭壇画)」1518
ブロンズィーノ「若い男の肖像」1532
ブロンズィーノ「ルクレツィア・パンチャティキの肖像」1540‐41
この絵を見るのは楽しみでしたが期待以上でした。ルクレツィアは貴族出身でトスカーナ公妃エレオーナの家臣バルトロメロの妻、左ひじの肘掛には不気味な浮き彫り。
ブロンズィーノ「ビア・デ・メディチの肖像」1542
コジモ1世が正妻エレオノーラと結婚する前に、別の女性との間に生まれた子、この絵が描かれた直後5歳で亡くなります。
ブロンズィーノ「マリア・デ・メディチの肖像」1551
17歳で病没してしまうマリーア、10歳前後の姿と伝えられています。
ブロンズィーノ「小さな本を手にする少女の肖像」(1542‐45)
ブロンズィーノ「エレオノーラ・ディ・トレドと息子ジョヴァンニの肖像」1545
ナポリ総督の娘で、名家メディチ家のコジモ一世の妻≪エレオノーラ・ディ・トレド≫と息子ジョヴァンニを描いた。
ラファエロ・サンツィオ(ラファエロ・サンティ)「ひわの聖母」
左側がヨハネ手にひわ、右側のキリストが頭をなでなでします。キリストが十字架を背負ってゴルゴタの丘へと行く途中、「ひわ」がキリストの頭上に舞い降り、額から棘を抜こうとした。その時、キリストの血を一滴浴び、その瞬間から赤い斑点を身にまとい五色ひわになりました。
ラファエロ・サンツィオ「自画像」1506
21歳でフィレンツェに来たとき、ミケランジェロは29歳、ダ・ヴィンチは52歳。師ピエトロ・ペルジーノの才能を吸収。フィレンツェに来てからも、ミケランジェロとダ・ヴィンチから、学び成長しますが37歳熱病で没す。
パルミジャニーノ「長い首の聖母」1534-50
マニエリスムの特徴である、引き伸ばされた官能美に溢れた人物やその人体構造。非現実的かつ幻視的な特異の様式などパルミジャニーノ独自な画風を形成、37歳と若くしてこの世を去るが、晩年錬金術に傾倒し、精神が危機的状況にあったとも伝えられる。
ティツィアーノ「フローラ」1515-17
レオナルド・ダ・ヴィンチ「受胎告知」1472-75
特別室にあり、額の外側から絵の中心に向かう線がみえるようになっていて照明も工夫されています。
ヴェロッキオとレオナルド・ダ・ヴィンチの合作とされる「キリストの洗礼」1472-75
レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた左端の天使を見て、師であるヴェロッキオは筆を折り、その後2度と絵を描くことはなかったとも伝えられるが、単に工房が受注した絵画の制作のほとんどを弟子達に任せ、自身は専門の彫刻に専念した。
フィリピーノ・リッピ「東方三博士の礼拝」1496
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レオナルド・ダ・ヴィンチ「東方三博士の礼拝」1481-82
大掛かりな修復の状況もビデオ展示していた。
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アルテミジア・ジェンティレスキ「ホロフェルネスの首を取るユディット」1620
ユダヤを征服しようとするアッシリア軍司令官ホロフェルネスの首を取る道案内人を装った寡婦ユディット
フランドルの無名画家「メドゥーサの頭」1500年代
美少女だったメドゥーサは、海神ポセイドーンとアテーナーの神殿の1つで交わいアテーナーの怒りをかい、醜い怪物にされる。後にペルセウスに討ち取られた。
ペルセウスは帰り道、海獣に出会い剣をさすがかなわず、メドゥーサの頭を掲げ海獣を岩に変えた。
首を献上されたアテーナーは、その首を自分の山羊の皮で出来た防具にはめ込んだ。
カラヴァジョ 「メデューサの首」 1598-99
おわん型の盾に描いたメデューサの首、見ると岩になってしまいますよ。
カラヴァジョ「バッカス」 1597
飲みすぎても酒をすすめるバッカス、変わり者で10年後に若者を殺しローマを追放される二日酔いのカラヴァジョ自身か?
バルトロメオ・マンフレディ「ローマの慈愛」1610年代
投獄され,餓死による死罪を宣告された父を娘が,自分の乳で飢えを凌がせたという伝説から
Mattias Stomer 「受胎告知」1635‐40
ダ・ヴィンチに比べると天使との距離が近い、そなの~?、そだね~?
ゲラルド・デッレ・ノッテイ 幼子イエスの礼拝 1619-20
ルーベンス ホロフェルネスの首を持つユディット 1625
絵の意味
アントーン・ヴァン・ダイク「オルレアン妃マルグリッド・ド・ロレーヌの肖像」 1634
フランス王ルイ13世の弟オルレアン公ガストンの2番目の妃。父はロレーヌ公フランソワ2世、母はザルム女伯クリスティーナ。
ルーベンス「自画像」1634
ティツィアーノ「ウルビーノのヴィーナス」 1538
ウルビーノ公爵グイドバルド2世・デッラ・ローヴェレの依頼によって描かれたローマ神話のヴィーナス
パラティーナ美術館(ピッティ宮殿)の主要作品
ピッティ宮殿はメディチ家の居住場所、ウフィツイ(オフィスという言葉の原型)は執務場所、ヴェキオ橋の2階部分はメディチ家の人々が二つの巨大な施設を移動するための専用の廊下でした。
ビッティ宮殿内
衣装博物館
パラティーナ美術館
ラファエロ「大公の聖母子」1504
ラファエロがフィレンツェに来た翌年1505年、22歳で着手した作品。トスカーナ大公フェルディナンド3世は、18世紀末、フィレンツェがナポレオンに占領された激動期にこの絵を入手し、生涯にわたって自身の寝室に飾り、フランス軍によって絵が奪われることを恐れ、亡命中も肌身離さず大切にした。
ラファエロ「小椅子の聖母子」1514
ラファエロ「婦人の肖像」1514
通称ラ・ヴェラータ。モデルはパン屋の娘でフォルナリーナ(パン屋の娘の意)と呼ばれる。ラファエロはこの女性と密かな恋愛関係にあったが、ラファエロを支持していた人々の中で最も権威のある人物のひとりビビエーナ枢機卿から姪のマリアとの結婚話を持ちかけられ、野心を持っていたラファエロは、それに従うべくフォルナリーナとの恋愛関係に終止符を打つ。
アンドレア・デル・サルトと共同研究者「マドンナ、4人の聖人と栄光」1530 未完
ティツィアーノ「マグダラのマリア」1532
娼婦だったマリアは懺悔し、、「イエスは…町や村を巡って旅をつづけられた。…悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア、…も一緒であった。-「新約聖書」日本聖書協会:ルカによる福音書8より」と書かれている、イエスの処刑、墓にも行っていて後に聖女になっている。絵の左隅に香油壺がある、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行き長い髪で香油をぬった。
グイード・レーニ「クレオパトラの死」1635
アクティウスの海戦で、ローマのアウグストゥスに負けたクレオパトラは、コブラに自分の身を咬ませ自殺する。
ルカ・ジョルダーノ「無原罪の妊娠」1680~?
聖母マリアはその懐胎の瞬間から全能の神の特別な恵みと、救主イエスの功のゆえに原罪のすべての汚れから自由であった、とするローマカトリック教会の教義
ティツィアーノ「青い服の婦人の肖像」1536
ナポレオンによってパリに持ち去られてしまったが、「会議は踊る」のウィーン会議でフィレンツェ返還が決定された。
本来はウフィツィ所蔵品??
ジャン・エテイエンス・リオタール「トルコ服を着たフランス王女マリー・アデレードの肖像」1753
フランス王太子(ドーファン)ブルゴーニュ公ルイの妃。フランス王ルイ15世の母。
サヴォイア(現在のイタリア北西部とフランス東部サヴォワ地方やジュネーヴ(現スイス)も含んだ。)公、ヴィットーリオ・アメデーオ2世と王妃アンナ・マリーア(オルレアン公フィリップ1世の娘)の長女。
フランシスコ・ゴヤ「チンチョン伯爵夫人マリア・テレジア」マリア・テレサ・デ・ボルボーン・イ・バリャブリガ1798
スペイン宰相マヌエル・デ・ゴドイの妻、結婚によってマリア・テレサと家族は年金を得て、初代ボアディリャ・デル・モンテ侯爵、第15代チンチョン伯といった称号を獲得し、スペイン貴族(グランデ)の一員となった。
ジャン・バプティスト・シメオン・シャルダン「ラケットを持つ少女」1741
ジャン・バプティスト・シメオン・シャルダン「トランプで城を作る少年」1740
2018年3月28日
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