ボッテチェリ

ボッテチェリは1445頃 イタリアフィレンツェに生まれました。
金細工の職人を経て、1460年頃 フィリッポ・リッピの弟子になります。
1469 ロレンツォがメディチ家の当主となり、その弟がジュリアーノでボッティチェリとは親友になります。
1472 ユディトの帰還 イスラエルの少女ユディト
1476頃 東方三博士の礼拝 ウフィツィ
キリストの足に触るのがコジモ ロレンツォの祖父
中央の赤マントがピエロ ロレンツォの父、
右の黒マントが親友ジュリアーノ ロレンツォの弟
左の赤べストがロレンツォ メディチ家主人
その肩に手をかけ顔だけ見えるのが詩人ポリツィアーノ
詩「ジョストラ」
白く美しい 真珠の肌
ひたいにかかる 金色の髪
花の衣に つつまれて
美の女神 シモネッタ
青く輝く 澄んだ瞳
喜びにみちた 薔薇色のほほ
愛する人に 抱かれて
愛の女神 シモネッタ
右端が本人ボッティチェリ
1476年
シモネッタ病死 23歳または22歳の説もある
1478頃 春 ウフィツィ
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ポリツィアーノの詩「ヴィーナスの王国」を題材とする
描かれた女性にシモネッタへの想いが込められている
左端の若者は親友ジュリアーノと云われている。目隠しをしたキューピットの矢が
ジュリアーノに当たったのでシモネッタは彼に惚れてしまったと考えたのか?
1475年
ジュリアーノが20歳の時、サンタ・クローチェ広場で馬上槍でた戦うジョストラに
勝利し、祭りの女王に選ばれていた恋人シモネッタ勝利のすみれの花冠をかぶせた。
右半分 大地の精クロリスが遊んでいるところに、西風の神ゼフュロスが現れ逃げるクロリスを捕まえます。捕まったクロリスは口からアネモネと薔薇の花を咲かせながら花の女神フローラに変身、フローラは春の花を咲かせます。
左半分 ヴィーナスにつかえる愛、美、恵の女神
1480~1485 美しきシモネッタの肖像 丸紅株式会社蔵
シモネッタはボッテチェリにとって忘れることが出来ない理想の女性。
死後4年たち、数年かけて絵描いている。
何度も、何度もシモネッタの面影をなぞる。
この頃の、絵に登場する女性に一様に物悲しい表情が見えるのは、シモネッタを想う気持ちが表れたのではないだろうか。
1482頃 パラスとケンタウルス ウフィツィ
1481 ローマ、バチカンに招かれる
1482 モーゼの試練 システィーナ礼拝堂壁画 フラスコ画
反逆者たちの懲罰
1483頃 マニフィカトの聖母 ウフィツィ
1484頃 ヴィーナスの誕生 ウフィツィ美術館
ギリシャ神話での美と愛と豊穣の女神アフロディテがローマ神話でウェヌス:Venusと呼ばれ英語読みがヴィーナスである。
ヘシオドスの神統記では天空の神ウラノスの男根を息子のクロノスが切り取り海に投げ捨てられらた時に出来た泡から生まれたという。
ヴィーナスは貝殻に乗ってキプロス島のパフォスに上陸した。
また、ホメロスはゼウスと大地女神ディオスの間に生まれた娘としている。
ヴィーナスは不細工な鍛冶屋の神ヘファイストスと結婚、夫が仕事に夢中なことを幸いに浮気を重ねた。
軍神アレストとはエロス:英語ではキューピット、ハルモニア:調和、デイモス:恐怖
という子を産んだ。
ディオニソス、ポセイドンとも子をもうけ、ヘルメスとは両性具有のヘルマフロディトゥスをもうけ、人間の男も弄んだ。
哲学者プラトンは饗宴に天上:ウラ二アと民衆:パンデモスの二種類のヴィーナスがいるとした。この考えはルネサンス期に取り上げられ双子のヴィーナス像が描かれた。
1487頃 ざくろの聖母 ウフィツィ美術館
1492 メディチ家の主人ロレンツォ死去 以降フィレンツェ及びメデッチ家衰退
55歳以降ほとんど絵を描いていない
1510年フィレンツェにて没65歳、生涯独身
シモネッタの墓があるオニサンティ教会に眠る
2020年12月21日
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