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このサイトは退職準備いいんかい?が作成していますが、メイン編集者からご挨拶致します。

ブロイグを読んで頂いきありがとうございます。
このブログの読者のイメージは、
サラリーマンとして過ごしてきたが、会社での退職までの将来がうっすらと見えてきて、退職後の生活が気になる。
会社や外部の年金説明会に参加し聞いてみると、年金だけで老後を過ごすのは厳しそう。
働けるなら、退社後も働き続けたいし、出来れば現職の課長か部長の地位に就きたい。仕事以外で付き合っている友達も多くはなく、これといった趣味もないので、退職してからの長い時間を持て余してしまいそう。
定年後の不安や心配について書かれた本も色々あり、ネットにも様々な情報が上げられているが、データで示されている平均値にも遠く及ばない。
そろそろ役職定年にかかりそうだし、60歳になれば退職・再雇用契約で女子社員並みの給料になりそう。そうなると失業保険の金額もたかが知れている。
誰にも言い難いこんな不安を抱えている方々が多いと思います。

こんな不安に対処するには、75歳まで働くしかない様です。
それが出来れば苦労はしない、出来そうも無いから不安なんだと言う声が聞こえます。
出来るだけ実情に近い財布の入りと出の数字を掴んで、一体幾ら足りないかを把握します。漠然と心配するのではなく、見たくはないけど不安の正体を確かめます。

足りない分を補います。
毎月4万円の赤字でしたら、月に4万円稼ぐ仕事を見つける。(家計費の確認はこちら)
85歳までの20年分を75歳までに用意するなら月に8万円を稼ぎます。日給4千円を頑張るなら、1日5時間で20日働きます。
体の具合、親や子供、住んでいる家や地域の状況から 自分の思い通り働けない方も少なくないと思いますが、早めに技能や資格を得ることも考えます。

ハローワーク、市役所などで地域の情報に目を配り、在職中から時間をかけて職を得る準備しておくます。
また、資格を得るための様々な学校・講座がありますが、1年程度の勉強で得られる資格で良い収入の仕事に就くのは、難しいと思います。今までの仕事の経験に関係するものが断然有利です。
まずハローワークの補助のある教育や訓練を利用して、高額な有料講座を受講する際は、卒業生やその資格保有者の就労状況を十分調査します。就職保障や儲かる資格などにつられて高い授業料を払ったり、裏付けにならない資格をとるような、くたびれもうけの銭失いは避けましょう。
いずれにしても実務経験が問われる場合が多いので、現職中の配置転換や転勤時にはチャンスととらえて新しい仕事みついて勉強してみては如何でしょう。

私は
59歳で職を失い61歳までの2年間定職に就けず、不安を抱え落ち着かない毎日を過ごしました。
老後の生活について気になりだしたのは、 もう少し前に年金定期便を見て時でした。その額では夫婦二人が生活していけるとは思えず、厳しいことになると感じました。
また、会社の主催で外部FPを招いた年金や老後について講習会もあり、年金基金や配偶者加算などの説明を受けました。それでも、当時の毎月の支出額と比べると、年金だけでは相当な開きがあり、老後の生活は明るくないなと感じていました。

56歳で子会社に監査役として出され、退職金を得ました。でも、老後の不安、娘二人の結婚支援のため貯金するしかありませんでした。
同じく子会社に出た前任者と同様に、私は任期4年に嘱託で2年プラスして計6年間は働けるものと予想していました。しかし親会社がこの会社を別の会社に譲渡したため、59歳という予定の半分の3年で退職を迎え、老後の資金計画は大幅に狂いました。

振り返ると、その時点で良かった点
退職金に手を付けなかったので、当面暮らせる資金があった。
子供3人は卒業し職を得ていた。
長く収めていた生命保険を養老年金に振り替え、保険は少額のものに替えていた。
住宅と車のローンは完済していた。
研究の成果で滞りなく健康保険や各種手続きを行えた。

失業中の活動
ハローワークに通い、人材紹介会社3社と監査協会にも登録して仕事を探しましたが、見つかりません。61歳までの2年間は頼りない蓄えとアルバイトで暮らしました。
退職直前が常勤監査役という立場でしたので、失業給付を受けられませんでした。40年近く働いて、失業保険もたっぷり納めたのに酷い制度です。

いずれにしても、59歳の退職では、特別支給の部分年金が支給されるまで(幸い私の場合60歳からの支給)に、空白時間があります。
(特別支給の部分年金比例報酬分は2年に1歳ずつ繰上って、昭和36年4月1日生まれの方の64歳までで、以降は老齢・基礎年金と同時に65歳からの支給になります。)
部分年金比例報酬受給までの10か月は完全な無収入で、支給された後も生活費を賄うには足りません。

老齢年金との受給までさらに5年、総受給までは5年と10か月ありました。蓄えで10か月過ごし、老齢年金と生命保険を解約して転換した養老自己年金の受給までの65歳まで5年分の生活費の補填で貯金は底をついてしまい、65歳以降は、厚生年金と養老年金を合わせた年金だけで、生活するしかありません。
奥さんは5歳年下で専業主婦ですので、奥さんの年金支給までは10年と10ヵ月あって気の遠くなるような先の話でした。
奥さんの年金がスタートしても、こんどは10年間支給の養老年金が約16年先以降は切れてしまいますので、最終的には二人の年金支給額だけで生活するしかありません。
とても、ゆとりのある老後は見込めない資金計画になり、先の事を考えると暗くなる毎日でした。エクセルに貯金残高を入れ、毎月の支出予定額を減じていくと、60歳から部分年金がはいるので、貯金が減るスピードは落ちるものの、65歳年金受給までで底をつきます。何回計算しなおしても結果は変わらず、食費を削って貯金の目減りを抑えるくらいしか思い当たりませんでした。

それでも、何とかなると考え、何でもいいから兎に角職に就こうとは思いませんでした。
ハローワークと人材紹介会社2社、監査協会に登録しているのでいい仕事が見つかるのではないかと、今思うと甘い期待を持って、ただ声がかかるのを待つ「ゆでカエル」状態でした。退社後あまり日を置かず、とりあえず空いた時間は働くことが大事だと思います。

やはり、お金の不安はいつも頭から離れませんでした。

無職時の働く努力
ハローワークに通い、知り合いの人材紹介会社や、ネット人材紹介会社にも登録しましたが、面接の機会も有りません。
6か月が過ぎ、一念発起し、これからも発展が見込めるネット関係なら、年をとってからも働けると思い、職業訓練ウェブ・デザイナー講座を受ける事にしました。
(失業保険が切れてから受講すると有利な点があります、詳しくはこちら
ハローワークの登録訓練で受講中の手当ては尽きませんでしたが、受講料は補助されました。
絵を描いたり、パソコンを使った年賀状を作るのも好きで、市販ソフトでホームページを作ったりしてましたので、仕事そのものに興味もありました。
10月から4か月の訓練コースに参加。1クラス20名くらいで、その中で一番の年長者でした。
課題も多く、高価なソフトを自費で買い、高性能パソコンを自費で自作し、家でも長時間課題の制作作業に没頭しました。
しかし、既に多くの若い方が活躍する業界で、経営者も若く実務経験のある即戦力が求められるため、折角このクラスで学んで卒業してもネットに関連する仕事に就いた人は半分もいないと思います。
この訓練経験もあって、友達の会社のホームページや広告資料を作成したり、数社の面接まで行きましたが入社はできませんでした。
また、友人が通いのマンション管理人の仕事をしていたので、紹介してもらい試験を受けましたが落ちました。友人にはあれに落ちるかなと言われ落ち込みました。

5月から、待ちに待った特別給付の部分年金が支給され、十分ではありませんが貯金の目減りスピードは半減。

アルバイト
友達関係の仕事も終わると、ネットに関係する仕事はなくなり、たっぷり時間が出来ました。
11月から広報で見つけた税務署のアルバイトに就くことが出来ました。確定申告書類がコンピュターに正確に登録できたか確認したり、申請書類の束を移動・整理する仕事です。
4月まで足かけ5か月間、9時半から4時半までの仕事です、部分年金と合わせると、毎月の赤字は数万円のレベルになりました。
このアルバイトは主婦が多いですが、20代、30代の若い男性も少なくありません。
毎年この時期は他の税務署も含め何回もこの仕事をしている若いベテランもいて、確定申告の登録場で申請者の登録作業を手伝ったり、指導したりしていました。
無作為に確認資料を割り振られる中で、私自身と私の親戚の申請書類が割り当てられチェックしたのが印象に残ってます。
毎年確実にある仕事なので、続ければ貯金の減り具合も改善するという希望も持てましたし、実際翌年にアルバイトの募集葉書をもらいました。
4月、確定申告のアルバイトが終わると、翌年分が始まる11月まで空きました。

それでも、なんでもやるという割り切った仕事探しがは出来ず、ブラブラしてしまいました。後に書きます「時間の使いで」のように日々過ごしていました。
だんだんキツクなる奥さんの視線もあり、6月ヘソクリでアメリカ東海岸一人旅することにしました。

旅行から帰ってしばらくすると監査協会から連絡が有り、61歳で今の仕事に就き、週に2日働いています。

無職時の時間の使いで
私は地方から出てきて、大学に行き、東京の会社で社会人になりましたので、住んでいる近所には古い友達はいません。

お小遣い
仕事を紹介してもらいたい下心もあって、会社時代の取引先や先輩、後輩に会って食事をしても良い結果には結びつきません。ご馳走する余裕はありませんし、電車代も馬鹿になりません。なにしろ資金は限られてますから、家の貯金は交際費に使えないので外出や外食、ゴルフなどを楽しむには、へそくりで補填してやりくりしました。

家庭内
40年働いてくれてありがとうの雰囲気も長くても、せいぜい退社後1週間ぐらいでしょう。無職だからと家で3食の食事を作ってもらっていると、奥さんの機嫌がだんだん悪くなります。
こちらは企業戦士と称し、40年家庭を顧みず仕事に専念していましたが、一方その間主婦として家で気ままに過ごしていあた。いまや朝昼晩と食事を作らなければいけないし、細々うるさく言うし、友達とも気楽に出かけられないと感じるようです。
奥さんにしてみれば自由に使えるお金も大幅に減り、外出着の購入や友達との交際費の工面も難しくなるのでイライラも増します。
ブラブラしてる暇があるなら、幾らかでも稼いで来いと思ってたでしょう、きっと。

このころの時間割
朝5時15分に家を出て1~2時間散歩。
ゴルフ練習場で知り合った3人がこの時間散歩しているので、合流して体操したり、歩きながら話したりもしました。季節によっては道路脇の筍、くり、銀杏を拾ったこともありました。また、家の近くには3私鉄線がありますが、各社が沿線で15キロ程度のウォーキングを企画しますので年に数回参加しました。
また、散歩にカメラを持って行き、季節の花々や紅葉、鳥を撮りました。これらは、自分のブログやフェースブックにあげました。
朝ごはんを食べたら、ゴルフの練習に行きます。
いつもの練習場には顔見知りが20人ほどいるので、練習が終わってからのコーヒータイムの無駄話も楽しみにしています。
私にとって、地元の人と交流できる唯一の場で、先輩世代から話を聞いたり、病院や仕事の情報を得たり、何より気分転換によかったと思います。

私の趣味は
ゴルフ
スコアよりも練習場で体を動かすこと人と話をすることを楽しんでます。コースに出ると4人で一緒に5~6時間過ごしますので、自然と友達になります。
ゴルフクラブ改造
ゴルフをちっとも上手くなりませんが、関連する趣味として、中古クラブを買ってきて、シャフトを入れ替えて使いやすいものにします。
ドライバー10本近く、アイアン数セットやりましたが、あまり成功したとは言えません。

パソコンの組み立てなどの電気関係いじり。
今までに4台のパソコンを組み立てました。奥さんや子どもたちにもそれぞれに中古のノートパソコンを買ってソフトを入れ替えて使ってもらいました。

デジカメ撮影。
職業訓練時に基礎的なことを教えてもらったこともあり、季節の花を中心に撮影しています。

自分用ホームページ・ブログの作成。
テーマに沿った体裁をデザインして、記事を書きます。

絵画鑑賞
印象派や浮世絵、イラストについては学生時代から興味があり、現役中も時々見ました。高じてアメリカと入社後に休みをとってフランスに本物を見に行きました。(旅行記:アメリカフランス 今までに観た絵
浮世絵のコレクションで有名なボストンやニューヨーク、フィラデルフィア、ワシントンの美術館を巡り、ついでにボストンの球場で対テキサスレンジャース戦を観ました。

気持ちの変化
税務署でアルバイトをしたことで、会社時代の管理職的な働き方から、決められた作業をすることに慣れました。経験のある20代のアルバイトや何でも知ってるおばさんに教えてもらうことも多く、適度に体も使う仕事でした。
前職を退職した後、したい、やっても良い仕事が見つからないと言ってましたが、税務署で働いたあとは、働かないでブラブラする方が滅入る感じになりました。

さて税務署の再募集まで時間があるので、死ぬ前にやりたい事100に挙げた上位の一つを実行することにしました。アメリカ東海岸に初めての一人旅です。
海外出張の経験が有ったので出来たと思いますが、行き先を間違えたり、迷子になったり、地下鉄パスを盗まれたりドタバタしましたが、美術館、ジャズライブ、ミュージカルを楽しみ、十分羽を伸ばしました。
もちろん資金はへそくりで、幸い奥さんも協力的で許可も出ました。

旅から帰って日を置かず、連絡があり8月から働く事になりました。
登録していた監査協会のデータを見て会社の2つの拠点に無理なく通える人という条件で整合したそうです。
振り返ると、バイトや旅に出て、自分の「気」が少し変わったのかなと思います。
「元気」「活気」「やる気」が表に出て「運気」を掴んだ気がします。

一般論ですが
幸い求人は増えていて、職種にこだわらなければ働けるようです。
働いてお金を貰うのは、何より最老後の生活費不足の不安を軽減します。
前職の地位や世間体など気にすることはありません。人は人、隣の家の退職年金が高かろうが、義理の弟が高級車に乗っていようが自分には何の関係ありません。
日雇いで交通整理の仕事をしている、元1部上場企業の取締役や海外赴任経験もある元外資系企業支店長、元上場企業監査役の知り合いもいます。
何かを成した人は、過去に縛られず今をしっかり生きるのかも知れません。

家族にも、退職後のハローワークや人材紹介会社でも仕事を見つけるの難しさ、前職の経験を生かせる仕事の募集の少なさや、得られる仕事の状況について話されては如何でしょう。
家で、奥さんと貯金の残高を計算したり、スーパーのチラシを見て懸命に出を制しても、資金は減るだけで増えません。入りを見て足りないのに、節約だけで乗り切るのは大変で、限度が有ります。

年金で明るく暮らすには無理があります、退職金を年金で貰える方も、10年程度経過すると激減する仕組みもあるので油断は出来ません。
まだ、30年下手をすると40年も生活するかもしれません、働ける内は、こだわらず働くしかないようです。


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