私は59歳で失職しました。

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私の定年は予期しないものでした。
56歳と3ヶ月で県連会社の監査役に就任、戻ることは無い片道切符でした。監査役任期は法令では4年、前任者は退任後も2年間嘱託として勤めていたので、私も62歳までは働けると思っていました。

しかし59歳の時、私を送り出した会社がこの子会社を社長と監査役の私以外の役員と従業員は全て引き取らせる事業譲渡と言う形で手放してしまい、私は失職しました。

失業中の活動

幸い住宅と車のローンは完済し、前の会社を出るときに手続きについては調べていたので、滞りなく健康保険や各種手続きを行えました。
とりあえずハローワークに通い、人材紹介会社3社と監査協会にも登録して仕事を探しましたが見つかりません。
退職直前が常勤監査役という立場でしたので、失業給付を受けられません。40年近く働いて、失業保険もたっぷり納めたのに一度も貰っていない酷い制度です。

いずれにしても、59歳の退職では、特別支給の部分年金が支給されるまで(幸い私の場合60歳から部分年金の特別支給)に、空白時間がありました。(特別支給の部分年金比例報酬分は2年に1歳ずつ繰上って、昭和36年4月1日生まれの方の64歳までで、以降は老齢・基礎年金と同時に65歳からの支給になります。)
部分年金比例報酬受給までの10ヶ月は完全な無収入ですから、もしもローンが残っていたら、生活は相当厳しかったと思います。

老齢年金との受給までさらに5年、受給までは5年と10か月ありました。蓄えで10か月過ごし、老齢年金と生命保険を解約して転換した養老自己年金の受給までの65歳まで5年分の生活費の補填で貯金は底をつき、65歳以降は、厚生年金と養老年金を合わせた年金だけで、生活するという計画でした。
妻は5歳年下で専業主婦ですので、その年金支給までは10年と10ヵ月あり気の遠くなるような先の話でした。
奥さんの年金がスタートしても、こんどは10年間支給の養老年金が約16年先以降は切れてしまいますので、最終的には二人の年金支給額だけで生活するしかありません。とても、ゆとりのある老後は見込めない資金計画になり、先の事を考えると暗くなる毎日でした。
エクセルに貯金残高を入れ、毎月の支出予定額を減じて計算すると、60歳から部分年金が入り貯金が減るスピードは落ちるものの、65歳の年金満額受給までで底をつきました。何回計算しなおしても結果は変わらず、食費を削って貯金の目減りを抑えるくらいしか思い当たりませんでした。

それでも、何とかなると甘い考えから、何でもいいから兎に角職に就こうとは考えませんでした。
ハローワークと人材紹介会社2社、監査協会に登録しているのでいい仕事が見つかるのではないかと、何かに期待して、誰かから声がかかるのを待つ「ゆでカエル」、指示待ちサラリーマン根性だったと思います。
空いた時間は日を置かず、仕事を選り好まないで、とりあえず働くことが大事でと反省しています。
団塊の世代が大量に定年を迎えた後ですから、職を得るのは難しい時期でもありました。

働く努力

ハローワーク、知り合いの人材紹介会社や、ネット人材紹介会社にも登録しましたが、面接の機会も有りません。
6か月が過ぎ、一念発起し、これからも発展が見込めるネット関係なら、年をとっても稼げるのではと思い、職業訓練ウェブ・デザイナー講座を受ける事にしました。
ハローワークの登録訓練で受講中の手当ては尽きませんでしたが、受講料は支援されました。元々、絵を描いたり、パソコンを使った年賀状を作るのも好きで、市販ソフトでホームページを作ったりしてましたので興味もありました。
10月から4か月間の訓練コースに参加しました。1クラス20名くらいのメンバー、その中では一番の年長者でした。
課題も多く、高価なソフトを自費で買い、高性能パソコンを自費で自作し、家でも長時間課題の制作作業に没頭しました。
しかし、既に多くの若い方が活躍する業界なので、実務経験のある即戦力が求められ、折角このクラスで学んだ卒業生もネットに関連する仕事に就いた人は半分もいなかったと思います。
この訓練経験から、友達の会社のホームページや広告資料を作成したり、数社の面接を受けたりしましたが入社できません。
このブログのデザインやワードプレスのテーマ改造もこの訓練の成果と独習で作っています。
友人の紹介で、大手マンション管理会社で管理人の試験と面接も受けましたが通りません、友達にはどうしてあれが落ちるかなと言われ、くさりました、年齢や前歴から敬遠される職種もあるようです。
やがて、友達関係の仕事も種切れになり、長くは続きませんでした。
5月から待ちに待った特別給付の部分年金が支給され、十分ではありませんが貯金の目減りスピードは半減しました。

アルバイト

11月、広報で見つけた税務署のアルバイトに就くことが出来ました。確定申告書類がコンピュターに正確に登録できたか確認したり、申請書類の束を移動・整理するアルバイトです。
4月まで足かけ5か月間、9時半から4時半までの仕事です、部分年金と合わせて、毎月の赤字はなんとか数万円のレベルになりました。
このアルバイトは主婦が多く、20代、30代の若い男性も少なくありません。毎年この時期は他の税務署も含め数年間この仕事をしている若いベテランもいます。こんなベテランになると、確定申告の登録場で申請者の登録作業を手伝ったり、指導したりしています。
無作為に確認資料を割り振られる中で、私自身と私の親戚の申請書類が割り当てられチェックしたのが印象に残ってます。
毎年ある仕事なので、続ければ貯金の減り具合も改善するという希望も持てました。
4月、確定申告のアルバイトが終わり、次の募集の11月までには時間がたっぷりあります。
それでも、なんでもやるという割り切った仕事探しが出来ず、ブラブラしてしまいました。毎日顔を突き合わせている奥さんの視線や言葉にだんだんキツイものが含まれて来たので、6月にへそくりをはたいてアメリカ東海岸へ一人旅に出かけました。(詳しくはこちら)
東海岸は初めてで航空券やホテルをネットで予約、美術館やライブ、野球などを観る思いで深い旅になりました。

再就職

旅行から帰ってしばらくすると監査協会から連絡が有り、61歳で今の契約社員での職を得られ、赤字無しで暮らせるようになりました。


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