ボッテチェリ

ボッテチェリは1445頃 イタリアフィレンツェに生まれました。
職人として金細工の仕事をしていました。
1460年頃 フィリッポ・リッピの弟子になります。
1469  ロレンツォがフィレンツェの富豪メディチ家の当主になりますがその弟がジュリアーノです。
(*は、おはなし名画シリーズ ボッティチェリと花の都フィレンツから)
「東方三博士の礼拝」1475
*この絵には、パトロンであるメディチ家の人々が描かれています。

*右端が本人ボッティチェリと言われている。
左の赤べストがロレンツォ メディチ家主人、中央の赤マントがその父のピエロ、キリストの足に触るのがコジモ ロレンツォの祖父、銀行家でフィレンツエの税金の65%支払たそうです。
右の黒マントがロレンツォの弟でボッテチェリの親友ジュリアーノ。
その肩に手をかけ顔だけ見えるのが詩人ポリツィアーノで詩「ジョストラ」を書いた。
白く美しい 真珠の肌
ひたいにかかる 金色の髪
花の衣に つつまれて
美の女神 シモネッタ
青く輝く 澄んだ瞳
喜びにみちた 薔薇色のほほ
愛する人に 抱かれて
愛の女神 シモネッタ
1475年
*ジュリアーノが20歳の時、サンタ・クローチェ広場で馬上槍で戦うジョストラにて勝利し、祭りの女王に選ばれていた恋人シモネッタに勝利のすみれの花冠をかぶせた。
しかし、1476年頃シモネッタは病死してしまいます。23歳または22歳の説もある若さで亡くなりました。
一方ジュリアーノも1478年宿敵パッツィ家により暗殺されてしまいます。
ボッテチェリは1480~1485 美しきシモネッタの肖像を描きます。( 丸紅株式会社蔵)
私が想うのは、シモネッタはボッテチェリにとって忘れることが出来ない理想の女性だった、死後4年たち、数年かけて絵描いている。
何度も、何度もシモネッタの面影をなぞっている、初期の宗教や神話を題材とした作品から、パトロンであるメディチ家の意に沿う題材に変わっていきます。
この頃の、絵に登場する女性に一様に物悲しい表情が見えるのは、シモネッタを想う気持ちの表れかと感じます。

サンドロ・ボッテチェリ「マニフィカートの聖母」 ウフィツィ 1483-85

マニフィカトはマリアを讃える賛美歌を意味し、二人の羽のない天使が、聖母に天の女王を意味する冠をのせている。冠に無数の星が散りばめられ「明けの明星」を意味し、明けの明星(金星)は、マリア頌歌では天上のマリアを示す。天使たちはインク瓶を持ち、赤ん坊のイエスがマリアにマニフィカトの最後の言葉を書くよう促している。
聖母と赤ん坊のイエスが持つざくろがキリストの受難を意味している。
サンドロ・ボッテチェリ「パラスとケンタウロス」 ウフィツィ 1482-83

パラスの衣装の模様が個人的な紋章の意匠なので、ロレンツォ・デ・メディチ絵の依頼主とされる。
ケンタウロスに象徴される「抑制されない本能や理性のない激情」を、女神の「理」によって抑えていると主張する人もいる。パラス”は”ミネルバ”のギリシャ語読み、”ミネルバ”はローマ神話の最も重要な3人の神々の一人であり、 学問と戦いの他、医師と医療を司る知恵の女神です。注文主であるメディチ家の”メディチ”とは日本語では”薬”のことで”寓意”に満ちた絵です。

サンドロ・ボッテチェリ「ヴィーナスの誕生」 ウフィツィ 1485

ギリシア神話から、女神ヴィーナス(アプロディーテー)が、成熟した大人の女性として、海より誕生し出現した様
サンドロ・ボッテチェリ「サン・バルナバの祭壇画」 ウフィツィ 1487

王座の聖母を中心に聖人たちがとりまくモチーフ、聖母の頭上の「貝殻」が聖母を「新しいヴィーナス」とみなすシンボル。
サンドロ・ボッテチェリ「ザクロの聖母」 ウフィツィ 1487

受難の象徴≪柘榴≫を手にする幼子イエス、我が子が歩む茨の道を憂う聖母マリアの虚ろな表情
サンドロ・ボッテチェリ「受胎告知」 ウフィツィ 1489

サンドロ・ボッテチェリ 「聖母子(バラ園の聖母)」 1469-70

バラは、「奇しきバラの花」という聖母マリアの称号を意味する。
ボッテチェリ「三人の大天使とトビア」1470

トビトは王に暗殺された仲間のユダヤ人たちを墓に葬ったため、財産を全て没収されてしまった。
眠っているトビトの目にすずめが下りてきて、目が見えなくなってしまう、トビトの姪サラは悪魔に取りつかれ、彼女と結婚する男七人は次々と殺された。神はこの不幸な家族を救うため、大天使ラファエルを送った。
ラファエルはトビトの息子トビアを連れ立ちラグエルの元へと旅に出る。旅の途中、チグリス川で、巨大な魚に襲われるが、大天使ラファエルがトビアに、その魚を捕まえて、内臓の胆嚢、心臓、肝臓を取るよう命じた。
ラグエルのところに着いたとき、大天使ラファエルはトビアに悪魔につかれたサラを嫁にするよう言い、結婚式に巨大な魚から取った肝臓を焼いた。その匂いで悪魔はサラから出て行った。
彼らはトビトの待つ家に帰り、巨大魚の胆嚢で、父トビトの目を治した。
サンドロ・ボッテチェリ 「春(プリマベーラ)」 1469-70

中央に、位置を高くに愛の女神ヴィーナス(アプロディテ)がいる。
右端に西風のゼフュロスがいて頬をふくらませ、青い顔をして、西風を吹かせ、春を運んでいる。ゼフュロスが抱きつこうとしているのはニンフ(妖精)のクロリスで、ゼフュロスは恋してしまい結婚する。
クロリスの口元から、花があふれているが、クロリスにゼフュロスの手が触れることで、フローラという花の女神に変身する。クロリスの左隣には、変身した女神フローラが、今にも足を踏み出すところ。
左の三人の女性は「三美神」でM左の女神は「愛欲」、中央は「純潔」、右が「愛」の女神である。左の「愛欲」と中央の「純潔」は、互いに見つめあい、対立し。右の「愛」が二人の仲を取り持ち、「愛欲」と「純潔」の反する性質を、「愛」でまとめている。
目隠しをしたキューピッド(エロス)が狙いを定めるのは「純潔」。目隠しは愛の不確かさや、負の部分を暗示している。
左端には神の使いマーキュリー(ヘルメス)がいて、人間と神の間に道を作り人間界にも春の訪れを告げる。理性の神でもあるヘルメスは、頭上の霧を杖で払っているが、霊魂を曇らせる情念の闇を取り払うとも考えられる。
サンドロ・ボッテチェリ 「ホロフィネスの遺体の発見」「ユディットのベツリアへの帰還」1470-72

絵の意味  遺体が発見された時、既にユディトは逃げ延びていました。

ボッテチェリ「サン・マルコの祭壇画(聖母の戴冠)」1488-90

フィレンツェで名声を得て、ローマのバチカンに招かれ、礼拝堂に描いています。


バチカン礼拝堂内部は撮影禁止なので、外にある壁画紹介画像から。

後年は宗教的な影響もあり、作風が一変し人気も急落、画業を止めるに至り孤独の内に亡くなる。
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